それでもボクはやってない
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それでもボクはやってない スタンダード・エディション 販売元:東宝 |
脚本もいいし演出もいい。出てくる役者も抜群にいい。すこぶる面白いのである。
でも、これって何の面白さだろう?映画としてどうなの?結局は痴漢事件を争う刑事裁判とうい題材の面白さじゃないのかという所に行き着く。もちろん題材だけではなく冒頭の要因あってこそなのだけれど、それでもなお題材によっかかりすぎなのじゃないかと思われる。これは周防監督自身が述べているとおり刑事事件の制度の歪みがネタとして面白く、その理不尽さを映画を通して世間に伝えたいという動機がそうさせているのだろう。
つまりこの映画は周防監督のコメディ的感覚のおかしみが全編に散りばめられてはいるが、正体は徹底的に正統な社会派であったということなのだ。だから、わたしが強く興味を持っていたラストの着地点がどうなるかというと、本来、裁判の過程によって明らかにされるべき事件の真相が(裁判では真実など明らかにされることはないのだと、この映画が見るものに伝えてきていたのだが)突然、主人公の一人称の真実として語られ、この歪んだ裁判制度が冤罪を生み出したのだという結論に至るのである。
監督は傍聴席から見える刑事裁判を描いた。ならば傍聴席から見える真実(もしくは真実が見えないこと)を描ききるべきではなかったのだろうか?映画としてここで若干の違和感を覚えた。リベラルな社会派としては正解なのだろうけど。


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